mossang’s blog

不動産業者に勤める発達障害者による雑記です。日常で思ったことや役に立てるような内容を書いていきたいと思います。

親ガチャについて思うこと

最近、「親ガチャ」という言葉が巷で広まっている。

「親ガチャ」というのは、どの親に生まれたかによって、
本人の努力に依らず人生が大きく変わってしまうという意味である。

私は、親ガチャという言葉のように人生は親からの遺伝であったり、収入、文化資本というもので

決まるわけじゃないと思いたい。

スヌーピーも、「持っているカードで勝負するしかないのさ」と言っている。

だが親の遺伝子、収入、文化資本などで人生左右される面が大きいのではないかと思う。

ワイトではブルーアイズホワイトドラゴンを倒せないように、手持ちのカードでなんもできない場合もあるのでは?と

私は、母親を小学生の頃に亡くし、父親には金銭面で苦労をかけられた。
しかも発達障害という形で脳ガチャにも外れている。

そこそこやべえ家庭状況である。

世間一般の話をすると、両親共に美形である場合、生まれてくる子は余程のことがない限り美形に生まれてくる。

ルックスが後の学校生活や就職で有利になることは言うまでもない。

親が高所得の場合、子供への投資として塾やピアノやスポーツとさまざまな教育を受ける機会は多くなるだろう。

親が読書家である場合、書物に触れる機会が増え、その後の感性等に影響を大きく与えるだろう。

と、まあ親の影響によって人生は大きく変わってくる。

逆に、親の性格がバイオレンスな家庭に生まれてしまった場合虐待等の被害にあったり、非行に走ってしまうだろう。

その場合社会は同情もされることなく、本人の全責任で何事も済まそうとする。

稀に恵まれない家庭から叩き上げて成り上がった人たちもいるが、自分の実力を過信し、

俺ができたんだからお前にもできると似たような人たちに対して冷たくなってゆく。

トンビがタカを産むことはあるが、基本的にトンビの子はトンビなのだ。

ではなぜ、「親ガチャ」という言葉が世間に浸透してしまったのだろうか?

「親ガチャ」という言葉が生まれる以前から、人生における親の影響というものは研究されていた。

多数の研究があるのになぜ今広まっているのか?

それは、「頑張れば努力は報われる」という建前が格差の広まりと共に崩壊しつつあるからではないか?

東京大学では、7割の学生が親の年収750万円以上の所得の家庭の出身だという。

親の年収が高ければ高いほど子供に投資できるのだから、当然のことだと思う。

大手企業に入るにしても学歴が求められ、その学歴を得るためには本人の努力だけではなく親の投資も重要だ。

政治家たちを見てみると大半が高学歴だが、血筋のいい家庭の人が多い。

だが、あくまでも「実力主義」という建前でやっている以上はそれでいいのだろうかと思う。

たとえ実家が太くても本人の努力で東大入った。それはもちろんそうである。

ただそれは100メートル走で低所得家庭の生まれの子が100メートルフルで走る一方、高所得家庭の生まれの子は60メートル走るようなものだ。

どの家庭に生まれたのかで前提となる努力の量が変わってしまう。

その結果、たとえ自由で平等な競争という建前であっても

一部の例外を除き階層のトップが実家の太い層で固定されてしまう。

結果として新しい階級社会になってしまうのではないか?と思う。

人生における親の影響というものは大きい。

とはいえ、私は運命論に負けずに抗い続けたい。

マキャベリは言った。

『運命は我々の行為の半分を支配し、他の半分を我々自身にゆだねる。』

人生の半分は環境などどうしようもないことで支配されているが、残りの半分は自分自身の力でなんとでもなるということだ。

長くて短い人生であるが、私は自分に自分を誇れるような生き方をしたい。