mossang’s blog

不動産業者に勤める発達障害者による雑記です。日常で思ったことや役に立てるような内容を書いていきたいと思います。

今年の振り返り〜発達障害であるとわかり〜

こんばんわ。
mossangです。

今年も残すところ1日と数時間となりました。

私は仕事を納め、ゆっくりと年末を過ごしております。

今年の振り返ってゆきたいと思います。

2021年の振り返り

仕事について

私は今年の7月に前職不動産営業を辞めて、10月に警備員の仕事に就きました。
前職を辞めた理由は、発達障害及びそれに付随する二次障害が職場の人間関係の劣悪さによってひどくなったからです。

正直言って今思えば不動産営業の仕事を辞めて良かったと思います。
人間関係から解放されたからです。

前職では、職場の中に二つの派閥があり、そのどちらにも入れない私という状況でした。
職場がバチバチの中で、板挟みになる私。
ストレスしかありませんでした。

でも、今の職場では毎日毎日同じ人間と顔を合わすことがなくとても快適に過ごすことができます。

現場で職人さん達に何か言われたとしても、その場での付き合いでしかありません。
ストレスを溜め込まずに過ごすことができました。

伸び伸びと仕事をすることができたので、世間的には底辺だの何だの言われる仕事ではありますが、
プロ意識を持って仕事をすることができました。

また仕事を辞めていた間に、酪農を体験させていただきました。

その中で、自分が働ける業界は頭を使うような仕事ではなく身体を使う仕事であるということに気づくことができました。

酪農を続けることはできませんでしたが、このことに気づけたのは大きかったと思います。

病気について

今年の5月に自分が発達障害があるということがわかりました。
いくつか薬を処方されましたが、営業をやっている中でそれでもやっぱりきついものがありました。
こだわりとかは抑えることができましたが、人間関係にとても苦しめられました。
カミングアウト後が一番辛かったです。

理解してくれと言うつもりはなかったけど上司からの圧力で言わざるを得なくなりました。

二次障害の抑うつにもとても苦しめられました。
毎朝起きるたびに会社へ行くことを考えると身体から吐き気などサインが表れていました。

毎日死にたい思いに溢れていました。

ですが、転職してからメンタルが落ち着きました。
人間関係に悩まされることがなくなったからです。

それでも前職での上司等による私への仕打ちは忘れることはできません。
一生許すことはないと思います。

デイケアも一時期行きましたが、定着することなく転職してから平日が仕事多いこともありしばらく病院にも行っていないです。

プライベートについて

特に何もなかったです。笑
素敵な人が現れるでもなく平和な年でした。

来年の目標

私の来年の目標はいくつかあります。
まず一つ目は資格を取ることです。

警備員にも国家資格があります。
交通誘導の登竜門、交通誘導警備業務検定の二級を取ることが今の目標です。

学科と実技両方ありますが、学科の方がですね、
刑法や刑事訴訟法という分野から出題されるので、
大学の頃の知識を思い出しながら勉強を続けていきたいです。

どの業界にいてもキャリアアップはできるはずなので腐ることなく頑張りたいと思います。

続いて、二つ目は彼女を作ることです。
私はもう30歳。
私の友人達はみんな身を固めています。

私が最後に彼女がいたのは、22歳の頃でした。
8年以上いません。

もう彼女はいいやと思ってたのですが、やはり何をするにしても1人は寂しい。

なので、自分磨きをしっかり行い、選んでもらえる人間になりたいです。

最後の三つ目は、貯金をすることです。

私は、無職だった三ヶ月間で生活苦だったので結構借金してしまってます。
現在収支マイナスです。

なので、来年は借金に頼らずに生活し、貯金をしてゆきたいと思います。

以上今年の振り返りと来年の目標でした。

では、皆様もいいお年をお過ごしください。

以上mossangでした。

黒いキッ○ニア

突然だが、キッザ○アという施設をご存知でしょうか?

知っている方は多いと思うが,子供達に楽しみながら社会を学んでもらいたいと

色々な企業の職業体験をすることができる施設です

子供たち、楽しみながら就労体験をすることで,将来の自分に

どのように働くのかをイメージさせることができます

ですが子供たちがキッザ○アで学ぶことができるのはその企業の良い面だけです

夢や希望を膨らませて将来を馳せる

これはいいことでしょう

ですが現実は残業や低賃金、セクハラやパワハラ

社会は理不尽に溢れています

我々は少年時代さまざまなことを学校で学んでゆきますが

高校や大学卒業を機に、いきなり社会に放り出されます

社会では学校で学んだ常識や知識が通用しないと言うことがザラなのです

それなら、夢や希望を見せるよりも現実を見せてあげた方がまだ子供たちに優しいのではないかと

そこで、私はブラックキッザ○アを作るべきだと思いました

名前の通り、子供達が社会のブラックな側面を体験できる施設です

当然、ブースを出展してもらう企業はブラック企業ばかりです

パ○ナやワタ○、モンテ○ーザ、オープ○ハウスや金融、引っ越しにitベンチャーには出展していただきたいです

指定通りの時間にブースに行くと、第一声が「おせえよ!」

その後、大声を出す朝礼も行います

「行こうぜ一兆2020」と叫び,みんなと連帯感を共有します

子供達が帰りたくなったら「偉くなったねお前」

電話研修では腕にテープでぐるぐる巻き

どのような軽いミスでも叱責が飛んできます

施設内で知らない子供に名刺交換をしてもらいます

10人の名刺集めるまでブースに帰ってこれません

指定された体験時間をオーバーもしますし、対価として受け取られる通貨もピンハネされます

残業代?そんなものはありません

また企業体験だけではなく研修も受けられます

管理者養○学校監修です

施設内で名前を大声で言わせたり

突然一分間スピーチさせます

強靭なメンタルを身につけましょう

そして施設内にはモチベー○ョンアップ株式会社のポスターが至る所に貼ってあります

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やる気が湧いてきますね(白目)

と、まあここまで色々書いてきましたが,

私は子供の時大人は自由なものだと思っていました。

ですが,大人になってみると会社や家族、人間関係と世の中の様々なことにしがらみができ,歳を取れば取るほど自由というものはなくなるのだと思いました

大人から自由を奪うものの一つである

「会社」のいいところだけではなく悪い面も知ることで,心の準備というものができるのではないでしょうか?

おとなになるということ

私は今年の5月に30歳になった

世間的にはもう完全に大人として扱われる歳である

そんな私もかつて、夢と希望に溢れていた幼少時代、少年時代というものがあった

子供の時は将来はサッカー選手になるだとか、天文学者になるだとか

そういう夢ばかり語っていたし、

二十代中盤に結婚して30にもなったら子供はいるだろうなと思っていた

世の中のことをなにも知らない普通の子供であった

だけど現実は…

まさかさあ、30になってまで

「うんこwww」とか「ち○こwww」とか

でキャッキャしてる大人になるとは思わなかったよ…

色々あっても子供心を失わなかったのを良しとすべきか否か

正直判断に迷っている

警備員になってよかったなということ

私が交通誘導警備員になってはや一月が経とうとしている。

早くも、後悔をしている。

何について後悔してるのかというと…

「なぜ、もっと早くに警備員になっておかなかったのか!」

ということである。

ということで、警備員になって良かったことについて
書いてゆこうかなと思う。

一般的に警備員という言葉に何を連想するだろう?

底辺?3K?年齢層が高い?

とまあ、いいイメージは無いと思う。

私も今の会社に来るまではそう思っていた。

実際8時間立ちっぱなしだし遠隔地に現場があったり辛いこともある。

だが実際働いてみると、私が持っていたイメージをいい意味で裏切られることが多かった。

それでは、早速警備員になってよかったなということを書いてゆきたい。

警備員になってよかったこと

人間関係のストレスが少ない

 
一つ目は人間関係のストレスが少ないということだ。

警備員という仕事は1人または少人数で現場に派遣されることが多い。

そして、誰と組むのかということも常に流動的だ。

何日も連続で同じ相手と組むということが少ない。

そして現場の人たちとも一期一会だからご縁を大切にしようという意識も生まれるよね。

たとえ誰かを苦手だなと思っても毎日顔を合わせるわけではないのであまり人間関係にストレスを溜め込まずに済む。

毎日毎日同じ相手と長い時間顔を合わせるとどれだけ好きな人相手でも腹立ってくるからね。

現場が早く終わることもある

二つ目は現場が早く終わることがあるということだ。

工事の内容によっては一日中かかるものもあれば,

中には舗装のみとか短い時間で終わるものもある。

私の会社は一定時間経てばその日の日給が保証されるので、

その時間以降は早く終われば終わるだけ得だ。

早く終わった時より嬉しいことはない。

プライベートの時間もその分長くなるしね。

充実感を味わえる

三つ目は仕事に充実感を味わえることだ。

我々の仕事はただ単純な仕事だと思えるかもしれない。

その通りである。

だが、交通誘導の場合、工事車両と一般車両や市民の事故を防ぐという仕事である。

道路の上に立ち、いつ車が突っ込んでくるかもしれないと常に危険と隣り合わせではあるが

道路の安全を守っているという実感を感じるようになった。

私はそこにやりがいと充実感を感じている。

慌てなくなった

四つ目は慌てなくなったということである。

私は発達障害を抱え、不動産時代は他の人から何か言われるたびに

頭の中がグチャグチャな状態となっていた。

結果、慌てていろんなミスを繰り返し、信用を無くすようなこととなった。

だが、交通誘導の仕事を始めてから、1人で仕事をする時間も多く、

頭が混乱するようなことがなくなった。

仕事中無線機でコミュニケーションを取るものもあるが、

言うことは単純化されている。

なので慌てることもなく事態に対処できるようになった。

終わりに

以上が私が交通誘導警備員になってよかったことである。

せっかくこの仕事についたのだから、長く続けてゆきたいと思う。

仕事に充実感を覚えるなんて経験は久しぶりだから。

親ガチャについて思うこと

最近、「親ガチャ」という言葉が巷で広まっている。

「親ガチャ」というのは、どの親に生まれたかによって、
本人の努力に依らず人生が大きく変わってしまうという意味である。

私は、親ガチャという言葉のように人生は親からの遺伝であったり、収入、文化資本というもので

決まるわけじゃないと思いたい。

スヌーピーも、「持っているカードで勝負するしかないのさ」と言っている。

だが親の遺伝子、収入、文化資本などで人生左右される面が大きいのではないかと思う。

ワイトではブルーアイズホワイトドラゴンを倒せないように、手持ちのカードでなんもできない場合もあるのでは?と

私は、母親を小学生の頃に亡くし、父親には金銭面で苦労をかけられた。
しかも発達障害という形で脳ガチャにも外れている。

そこそこやべえ家庭状況である。

世間一般の話をすると、両親共に美形である場合、生まれてくる子は余程のことがない限り美形に生まれてくる。

ルックスが後の学校生活や就職で有利になることは言うまでもない。

親が高所得の場合、子供への投資として塾やピアノやスポーツとさまざまな教育を受ける機会は多くなるだろう。

親が読書家である場合、書物に触れる機会が増え、その後の感性等に影響を大きく与えるだろう。

と、まあ親の影響によって人生は大きく変わってくる。

逆に、親の性格がバイオレンスな家庭に生まれてしまった場合虐待等の被害にあったり、非行に走ってしまうだろう。

その場合社会は同情もされることなく、本人の全責任で何事も済まそうとする。

稀に恵まれない家庭から叩き上げて成り上がった人たちもいるが、自分の実力を過信し、

俺ができたんだからお前にもできると似たような人たちに対して冷たくなってゆく。

トンビがタカを産むことはあるが、基本的にトンビの子はトンビなのだ。

ではなぜ、「親ガチャ」という言葉が世間に浸透してしまったのだろうか?

「親ガチャ」という言葉が生まれる以前から、人生における親の影響というものは研究されていた。

多数の研究があるのになぜ今広まっているのか?

それは、「頑張れば努力は報われる」という建前が格差の広まりと共に崩壊しつつあるからではないか?

東京大学では、7割の学生が親の年収750万円以上の所得の家庭の出身だという。

親の年収が高ければ高いほど子供に投資できるのだから、当然のことだと思う。

大手企業に入るにしても学歴が求められ、その学歴を得るためには本人の努力だけではなく親の投資も重要だ。

政治家たちを見てみると大半が高学歴だが、血筋のいい家庭の人が多い。

だが、あくまでも「実力主義」という建前でやっている以上はそれでいいのだろうかと思う。

たとえ実家が太くても本人の努力で東大入った。それはもちろんそうである。

ただそれは100メートル走で低所得家庭の生まれの子が100メートルフルで走る一方、高所得家庭の生まれの子は60メートル走るようなものだ。

どの家庭に生まれたのかで前提となる努力の量が変わってしまう。

その結果、たとえ自由で平等な競争という建前であっても

一部の例外を除き階層のトップが実家の太い層で固定されてしまう。

結果として新しい階級社会になってしまうのではないか?と思う。

人生における親の影響というものは大きい。

とはいえ、私は運命論に負けずに抗い続けたい。

マキャベリは言った。

『運命は我々の行為の半分を支配し、他の半分を我々自身にゆだねる。』

人生の半分は環境などどうしようもないことで支配されているが、残りの半分は自分自身の力でなんとでもなるということだ。

長くて短い人生であるが、私は自分に自分を誇れるような生き方をしたい。

酪農は辛いよ

仕事辞めて一ヶ月たった八月。

私は酪農家さんのところで二週間ほど酪農のお仕事をさせてもらった。

なぜ酪農を選んだのか。

それは、昔から動物や自然が好きで、都市の喧騒から離れた田舎で働くということに憧れていたからである。

今思えば、不動産という職種にとても疲れていたのだと思う。

お客様への営業や職場の人間関係、何もかもが嫌になっていた。

コミュニケーションの少ない仕事は何があるのか。

そこで見つけたのが酪農の求人だった。

酪農の仕事は朝が早く夜が遅い。

まず、午前中の仕事であるが朝5時半ごろに牧場へつき、最初にすることは牛舎の掃除である。

前日の牛の食べ残しを集めたり、ふんを取りぞいたりする。

その後乳搾りを行い、牛たちの寝床である藁を敷き詰める作業を行う。

最後に牛に餌を与え、雑用を行い、午前中の作業は終わりである。

だいたい朝の10時ごろであった。

昼休みは長く、私のいた牧場では6時間ほどあった。

大型特殊免許を持っている人は昼間に畑仕事も行っているようだった。

次に午後の仕事である。

夕方4時半に赤ちゃんの牛の糞や尿で汚れた寝床の藁を入れ替える。

その後、成牛たちの糞等をバンクリーナーという機械に落とし、搾乳へと入る。

搾乳が終わると、牛たちへ餌をあげてその日の作業は終わりである。

全てが終わる頃には夜の8時となっている。

以上が酪農の仕事の1日の流れである。

酪農の仕事の何が辛かったかということであるが、複数点あるので、書いてゆきたい。

まず一つ目が力仕事であるということ。

やはり、酪農は肉体労働。どの仕事をするにしても、

一番大切なものは筋力である。

特に酷使したのは握力であった。

フォークを使うにしろ、スコップを使うにしろ、

何かを握って重いものを持つ仕事が多い.

たった二週間であったが、私の手は皮が厚くなったし、

両手の指が、バネ指になってしまった。

腰も日に日にイカれていくのを感じた。

二つ目に辛かったことが、朝早く夜遅い生活であるということ。

私は、発達障害を持ち、抑うつの傾向がある。

牧場に向かうのに朝4時に起き、仕事を終えて家に着くのが夜の9時、家事を終えて床に着くのが11時ごろであった。

酪農は体力勝負であり、私のような人間が疲労を取るには十分な睡眠が必要だ。

だが睡眠時間取れても6時間の環境では身も心も疲れが取れない。

特に仕事終わりにバーベキューがある日もあり、さらに夜遅くなった日はきつかった。

三つ目は、命を扱うという仕事であるということ。

酪農で扱うのは、牛であったり、馬であったり、鶏であったりと

相手が生きている。

だからこそ、彼らの機嫌次第では尻尾で顔を叩かれたり、私は経験しなかったが、蹴られたりすることもある。

言葉を話せない相手だからこそ、彼らの様子を見て体調を押し図ることも必要となる。

私は人間相手に苦労してるのにましてや言葉も話せない生き物相手にする仕事が務まるわけがなかった。

最後に

酪農の辛いことを色々書いていったが、牧場の人たちはとてもいい人ばかりだった。

人間関係でのストレスを感じることはなかった。

私は酪農には向いていなかったものの、良くしてもらえたことは忘れない。

相談に乗ってもらえたり、野菜とかもたくさんもらえたりバーベキューにも誘ってもらえたしね。

ただ、安易に酪農とか農業への憧れを持つことはお勧めしない。

肉体的にとても辛い作業ばかりで、憧れだけでは務まる仕事ではないのだ。

都市の喧騒に疲れたからと一次産業志望する前に一度立ち止まって考えてみるということが大切なのである。

就職決まりました

無職になって三ヶ月。

ある程度回復してきたので、社会復帰しようと
面接に行ってきました。

仕事は交通誘導警備員の正社員です。

面接では仕事内容の説明と履歴書の内容に触れて
採用担当の方とお話しし、その場で内定をいただきました。

なぜ警備員かというと、一言で言うと社会に役立つ仕事がしたかったからです。

一般的に警備員は底辺と言われています。

ですが、危険から市民や作業員の安全を確保するという意味では社会にとって欠かせない仕事であると思います。

私は前職で、不動産売買の営業の仕事をしていました。

発達障害の症状で営業に支障が出たこともそうですが、

なにより家は余裕のある人間の買うものであると言うことに気づき、

働く意義というものを見失ったことが辛かったのです。

本当に社会に必要な仕事なのかわからなくなりました。

お金がなければ生きてはいけませんが、人はお金だけで生きるわけではないと思います。

公共心も働くの理由の一つではないでしょうか?

とまあまとまりのないことを色々書きましたが、1日でも早く

戦力として活躍できるようになりたいです。